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| 平賀源内先生遺品館 | ||
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																																																																																																 旧志度町の出身者の中で平賀源内以上に全国にその名を知られるものはいない。当遺品館に、旧志度町の生んだ天才源内の遺品が収蔵されている。  源内は、享保十三年(1728年)、高松藩松平家の軽輩お蔵番白石茂左衛門の子として、旧志度町新町に生まれた。幼少時に「天狗小僧」のあだなを村人からもらうほどに、才能の片鱗を見せていた。長崎で本草物産学、オランダ医学を学ぶ機会を得て後、才能は開花し、源内は様々な分野で活躍することとなる。  薬草類甘藷の収集・栽培、石綿の発見、鉱山開発、エレキテルの研究、源内焼と呼ばれる陶器の製造など、枚挙にいとまがない。  他方、芸術の面でも、源内は非凡な才能を見せた。幼少時より俳句及び絵画にいそしみ、後には風刺戯作小説や浄瑠璃を書いた。日本で最初の油絵といわれる源内の婦人像は、神戸美術館に収蔵されている。  活動範囲の広さ及び成果の質の高さから、日本のレオナルド・ダ・ビンチとも称されている。 当遺品館には、エレキテル、源内焼き、著書、絵画、書簡、愛用品等70数点が陳列されており、遺品を通して、源内の業績と生涯を辿ることができる。 | ||



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